教育担当
新しく配属された人間に仕事を教えている。あまり察しがよくないというか、物事に関心がないようで自分としてはまあ「あり得ない」人間に分類してしまうタイプの人で、これまでの人生で関わってこなかったような相手である。考え方の根本から違っているみたいだ。(これはちょっとした質問をして分かったことで、ま、まじか……と思った)
仕事はどうやって教えたらいいのか分からなかったがなんとか教えている、はずである。段階を踏んで、その先につながるような計画を立てて事前作業みたいなことを、解答を用意して先回りするというのはけっこう骨が折れる。わたしはその先につながる感動…みたいなものを目指して用意して相手に伝えているのだが、全然その1→2へのつながりを見出そうとしてくれない相手かもしれないので、今後自分のそこそこあったやる気が無になってしまうことだけが心配である。
暮らしてきた環境というか、考え方から何から自分とは真逆でほ~~~楽をしていらっしゃったんですねえ~~…というまなざしが抜けない。というのもまあ、聞く人が聞いたらそれは…全部の選択肢で親の言うままにいちばん楽な選択肢を選んで、もはや自分で選ぶというコストの存在すら知らないレベルだが、ここまで来たんですねえと思ってしまうのが明らかな経歴だからである。わたしはそこそこの受験勉強とそこそこの受験を経験し、そこそこの野心を持って自分の人生を制御したいと思って生きてきたので、分かる。さすがにそんな接され方をするのも相手には意味不明だと思ったので、自分の考え方からしたら相手のことは全く理解できないと伝え、選ぶというのはコストがかかることで、でもある程度自分でやらないとならないことで、それを代行してくれる人間はいずれ死ぬ~みたいな話をした。そんな話を会社でしなくちゃならないってマジかよ。
わたしは世の中の人間が自分程度の思慮と知識と能力を持っていると思って暮らしていたのだが、それはここまで接してきた集団の質が均質化されていたからなんだとしみじみ感じた。向上心なんて大それた話でなくとも、みんな前に進もうという姿勢が見えた。わたしには新しく配属された人間はただなんとなく存在し、なんとなくいる場所を用意してもらい、手取り足取り教えてもらったことをやり、それができるようになったらもう、その半自動装置を稼働させながら死を待っているように見えている。わたしが相手と関わってしまったのでそれでいいのかよ…みたいなことはどうしても口を挟んでしまうのだが、まあいいって人はいるんだろう…というのも分かる。はあ~~~。